ビリーブ・メンバーの梶原です。
最近、スティーブ・ジョブズの伝記を読んだのですが、その中にあったアップルのキャンペーン・メッセージに深く感銘を受けました。
ちょっと長くなりますが、紹介させてもらいます。
「クレイジーな人たちに乾杯。
はみ出し者、反逆者、トラブルメーカー、
不適応者、人と違う見方をする人。
彼らはルールを好まない。
彼らは既成概念や常識を尊重しない。
彼らを引用することも、反対することも、
賛美することも、中傷することもできる。
しかし、唯一できないのは彼らを無視することだ。
なぜなら、彼らは物事を変える。
彼らは人類を前進させる。
中には彼らをクレイジーだと思う人もいるだろう。
しかし、我々は天才だと思う。
それは、世界を変えられると思っているクレイジーな人は、
それができる人だから。」
私は、ありがとうファームのグリーンハーツに参加させてもらっているんですが、いま練習しているのは、ブルーハーツの「ロクデナシ」
このバンドの曲の中で私が一番好きな歌です。歌詞の内容はまさに前出のメッセージそのもの。
何年か前まで私はずっと、
「なぜ人と同じようになれない?なんとか社会の枠の中に収まらなければいけない。でもそれができない。」
その中で私はずっともがき苦しんできましたが、ある時からそのように考えるのをやめたんです。
「人と違っていてもいいじゃないか。罪さえ犯さなければ、どんな生き方をしたって誰にも文句を言われる筋合いはない。
まともな生き方ってなんだ?それは誰が決めているんだ?
いろんな考え方、生き方をしている人がいるからこそ、世界が面白いものになっているのさ。」
そう視点を変えたことで、ものすごく気楽になることができました。
「何を開き直っているんだ?もっと真面目になれ!」と叱られるのは百も承知ですよ。
私は世界を変えようなんてクレイジーなことは考えちゃいないけれど、こんな人間が一人くらいいたっていいんじゃないですか?
「美しく真っすぐに伸びている木は重宝がられ、さっさと伐り倒されてしまう。
反対に、デコボコで曲がりくねった木は、何の使い道もなく、馬鹿にされ、見向きもされない。
しかしこの木は、醜いと思われたことのおかげで伐られることなく、天寿を全うすることができた。」
これは有能であろうとして命を縮める者こそ無能なんだ、という荘子のたとえ話です。
生きているだけ、ただそれだけで、誰もが十分過ぎるほど存在価値があるはずじゃないか。
私はそう信じて疑いません。